楽しい時間の終わりまで

東京B少年が大好きです

アイドル

 


先日、あるグループのあるメンバーがグループを脱退した。

私は彼のファンという訳でもない、無論詳しくもない。だからと言って何も感じなかったかといえば別だ。同じ"アイドル"を応援する者として考えさせられるものがあった。


記者会見の前日、彼の脱退のスクープがあった。ここの界隈にいる人なら分かるだろうけど、脱退の噂なんていつでもどこでもいきなり浮上してくるもので、大体がデマである。なので、私は今回もまあデマだろうなと軽く思っていた。

でもデマじゃなかった。色々な感情が駆け巡って、冷水を浴びたような感覚だった。本当にこんなことあるんだ、とか、デビュー組でも辞めるんだ、とか、そういう感情。


多分これは、アイドルに限らず友達にも同じことをしているかもしれないんだけど、"その人を代名詞的に見る"ことを私達は無意識にしている。(上手い良い回しが見つからないので、ここでは代名詞的に見るという表現を用いていますが分かりづらかったら申し訳ないです。)

代名詞的に見るとは、簡単に言えば自担のことをアイドルとして見る。これは代名詞的に見ること。では逆に代名詞的ではなく直接的に見ること、つまり自担のことを自担として見ることは不可能に近い。だってそれは自担のことを深く知り100%理解しないと出来ない。私達はアイドルとしての彼らを自分なりに理解しているから代名詞的に見ることが出来る。きっと直接的に見ることは彼の親でさえ難しいだろう。


彼らは私達の前でアイドルとしていてくれている。だから私達は無意識に"ずっとアイドルにいてくれるだろう"と錯覚してしまう。なぜそう思ってしまうのかというと、それは彼らがアイドルだからだ。アイドルだから、やめるなんて素振りを見せてくれない。微かに匂わせてくれたとしても"ずっとアイドルにいてくれるだろう"という先入観で気付かない。

脱退したメンバーの彼のあるQ&Aの「いったん35まで!」というのも、誰が本当にそうなると思っただろうか。笑わせようとしてくれたんだな、とか、リアルだな~笑、とか、私だったらそう思っていたと思う。"アイドル"だから錯覚してしまう。私たちの勝手な、先入観。


でも彼らには私たちと同じように、先祖代々続く家系があり、生まれてから今まで生きてきた時間があり、成功や失敗などの体験、そこから生まれた感情、人間関係がある。それらを引っ括めて"人生"というのだけど。彼らはアイドルである以前に1人1人の名前を持って人間なのだ。当たり前のこと。当たり前のことを正面から突きつけられただけで、とても苦しかった。


頭では分かってるのだ。始まりには終わりがある。私にもその時が来るのかもしれない。

それでも、やはりその時が来たら、私は彼の人生を受け入れられるのか分からない。

 

 

 

かさ乃